reportレポート

伝統をベースに進化し続ける東大谷高等学校
新天地・泉北の誇りとなる学び舎をめざして

泉北高速鉄道に乗ると車窓から校舎が見え、泉ヶ丘駅界隈のランドマークになりつつある東大谷高校。実は市民ライターで取材者である私(八木)の母校です。卒業後も気になる存在だった母校を取材する機会に恵まれ、神代一徳校長に東大谷高等学校の今を尋ねてみました。

神代 一徳(かみしろかずのり)校長
泉北ニュータウン在住。1981年から大阪府立高校において、教諭(社会科)、教頭、校長を歴任。2013年4月から東大谷高等学校校長を務める。

創立100周年を過ぎた2013年、泉ヶ丘へ移転

1909年創立の東大谷高等学校は阿倍野にある女子校として、大阪に定着していました。泉北に校舎が移転したのは創立100年を過ぎた2013年のこと。泉ヶ丘駅近くの若年勤労単身者住宅だった通称「ヤングタウン」の跡地が新たな学舎となりました。同時に共学校になり、制服も一新されました。

緑が多い泉北の学校らしく、「里山」をイメージした校舎は、屋上菜園やぶどうの木がある中庭、ウッドデッキの広場、くつろげるテラス、太陽の光が差し込む図書室など、自然の恵みがいっぱい。学校とは思えない心地よい佇まいで、さすがグッドデザイン賞を受賞するだけのことはあります。


※グッドデザイン賞とは、様々に展開される事象の中から「よいデザイン」を選び、顕彰することを通じ、私たちのくらしを、産業を、そして社会全体を、より豊かなものへと導くことを目的とした公益財団法人日本デザイン振興会が主催する「総合的なデザインの推奨制度」です。

土地の高低差を利用した、吹き抜けのある5階建て校舎。有害物質のホルムアルデヒドに配慮した建築資材を選んでいます。外装のレンガ部分から日が差し込むと、市松模様のような影がお目見え。フロアを上がると泉北が一望でき、美しい夕日も楽しめます。

校舎を移転してから、学校がどのように変わったか?その変化について聞いてみました。

「新しい校舎や制服に共学化と、見た目は変わっていますが、中身は変えていません。たとえば、真宗大谷派の学校なので、建学の精神『報恩感謝』を柱とする宗教的情操教育の伝統を受け継いでいます。生徒の素朴さも変わってないんですよ」

確かに、最新の学校案内を読むと、バッハの「G線上のアリア」が流れる中で瞑想する朝の時間や、仏教系学校には欠かせない数珠を持ち合掌することなど、長年の学校生活習慣が引き継がれていました。

新制服(冬服)については、女子高時代のセーラー服を含めた、いくつかのデザイン案で制服のファッションショーを行い、一番人気のものを採用したそうです。

 

新しくなった制服

「今の制服は、改まった場所でも使えるスーツのようなデザインなので、男子は卒業後も使っている生徒がいるぐらい評判がいいんです。単に新しくしたわけではなく、旧制服だったセーラー服のネクタイカラーのブルーを使っています。また、大正時代から昭和時代初期にかけては、制服のスカートの裾にラインが入っていたので、今回の制服にも採り入れました。伝統に新しさを加えています」

そのように、制服のデザインについて教えてくれた神代先生。iPadや電子黒板を取り入れた授業、併設の大阪大谷大学の薬学部と連携した「9年一貫薬剤師育成プログラム」の創設など、進化していく中においても創立から100年を越えてなお受け継がれる、東大谷のスピリッツを残しています。

できることから協力し「地域とともに歩む高校」であり続けたい

旧阿倍野校舎の建て替え時期と共学化が重なり、移転先を検討しているとき、堺市からヤングタウン跡地を紹介されたそうです。学校を泉北ニュータウンに呼びこむことで地域を活性したい、と考えての提案でした。駅前の立地でかつ緑が多く、教育環境にぴったりだったことが移転の決め手の一つになりました。

そこで、学校と泉北ニュータウンとの関わりについて尋ねてみました。

「私どもは泉ヶ丘駅界隈のにぎわいづくりを手掛ける“泉ヶ丘ライブタウン会議”のメンバーとして、2014年に泉ヶ丘駅の広場で“ダンスフェスタ”をスタートさせました。本校のダンス部はもちろん、近隣の高校も参加して毎年6月に開催するようになり、年々参加校が増えています」

9校の参加でスタートした“ダンスフェスタ”は、2017年は14校に増え、イベントの様子が動画サイトでアップされるほど注目されています。

他にも、地域イベントに学校のグラウンドを開放して協力しています。三原台地域を知るためにクイズをしながら歩くウォークラリーが毎年2月に開催され、地元の皆さんがたくさん参加しています。

「三原台の文化祭や夏祭りには、本校はもちろん、昨年発足した卒業生の保護者会もブースを出しています。バトン部は、世界大会で優勝したこともあって、三原台はもちろん御池台のお祭りからもオファーがあり、演技を披露しました」

地域からのオファーは、バトン部だけではありません。美術部が文化祭で手作りの絵本を出展したところ、地元の保育園から「この絵本で読み聞かせをしてくれませんか」と依頼がありました。

バトン部は、アメリカで行われた世界大会「2016 MISS DANCE DRILL TEAM USA」の「INTERNATIONAL Large Open 部門」で1位に。今後の活躍にも期待。

芝生に屋上菜園、試行錯誤を重ねながらチャレンジ

実は、学校を泉北へ移転したのを機会に、グラウンドを天然芝にしようとチャンレジしたことがあるそうです。

「教師と生徒が全員で穴を掘り、芝生を植えたんですが、体育でグラウンドを使ううちに芝生が荒れてしまって、泣く泣く人工芝にリニューアルしました。ちょっと悔しいですね(笑)」

緑が美しい人工芝のグラウンド。部活に体育と気持ちよく運動ができる環境です。

また、東大谷高等学校では、「命あることへの感謝」が教育理念の一つになっています。それが体感できるスペースが屋上菜園です。

「屋上には水田があります。ジャガイモやトウモロコシなどを作っている畑と、ビワやリンゴが実る小さな果樹園があり、無農薬で栽培しています。水田は、地元の農業指導員にノウハウを教えてもらいながら、田植えから収穫まで生徒たちが行っています。立派に育ったものは本校園芸部・家庭科部がスイートポテトにしたりしていますね。今は菜園の収穫量が少ないもので…。ゆくゆくは、地元の皆さんにも食べてもらえたら嬉しいですね」

取材のお土産にナスと小さなリンゴをいただきました。中でもナスは大きくて立派な姿をしており、地元の人たちに提供される日も遠くないと思わせるほどでした。

水田では、6月に田植えをしたそうです。見学させてもらったときは問題なく育っていたので、この秋は「東大谷米」が無事に収穫できることを祈っています。

「菜園も、10年ぐらい経てば、一つの方向性が見えてくると思うんですがね」

と、この先の展開に期待が膨らみ、楽しそうな神代校長。屋上菜園は、体験学習や食育、環境教育や心の健康に生かす計画を視野に入れて設けられた場だとか。試行錯誤して作物を育てながら、生徒たちの心の成長にもつながるといいですね。

地域が団結し、若者が集う、何代にもわたって住みたくなるまちをめざす

これから泉北とめざす未来について、神代校長は次のように考えています。

「本校のある三原台地区は地域が一体になって、子供を育てていこうとする活動が熱心で、近畿大学医学部が移転してくると、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学がそろいます。そういう地域ってなかなかないので、人の流れが変わり、若い人が集うようになればいいなと思っています。親元を離れ泉北から出た若者が戻って来たくなるまちにしたいですね。そのためには、何代にもわたって住みたくなるまちづくりが必要です。3世代、4世代にもわたって学べる場となっている本校が地域活性に役立つと信じています」

 

東大谷高等学校は、富田林や泉大津からスクールバスが運行しており、泉北以外から通う生徒も多いそうです。それはつまり、泉北を外から客観的に見る目が多いとも言えます。泉北に住んでいないからこそ湧き出る新しい発想を地域に発信してほしいですね。

 

  おしらせ

学校案内を下記よりダウンロードできます。

東大谷高等学校パンフレットPDF

 

 

◎取材後記

泉ヶ丘の校舎を知らない卒業生にはぜひ来校してほしい

お話を聞いた神代校長から卒業生への伝言があります。「愛着のある校舎がなくなって、共学になるなんて母校のイメージが変わってしまうとよく言われました。そんな卒業生が今の学校へ来ると、今までよりもよくなったという声に変わっているんです。阿倍野の校舎しか知らない卒業生にはぜひ足を運んでほしいです」私も取材をしてみて、変化ではなく、古き良き精神を残してバージョンアップしていると感じました。このことは両親や、同窓の薙刀部だった義姉をはじめ、同級生に話したいと思いました。

◎市民ライタープロフィール

八木やす子
堺市西区在住の主婦。2005年からライターとしても活動。移転前は大阪市阿倍野区にあった、女子校時代の東大谷高校出身。今回、母校の取材を自ら希望した。