実は誰でも利用できるファインプラザ大阪
日々の仕事でつまずいたり、人間関係がうまくいかないなど、くよくよ悩んだりすることがありませんか。そんな時、すべてを忘れて何かに打ち込める場所、励まされ自信や笑顔を取り戻せる場所があったらいいなと思うこともあるでしょう。
そこで、今回ご紹介するのは、堺市南区城山台にある「大阪府立障がい者交流促進センター ファインプラザ大阪」です。昭和61年4月に日本で初めての交流型施設として設立されました。障がい者だけでなく健常者も一緒にスポーツを楽しめる施設です。
大阪府立障がい者交流促進センター<ファインプラザ大阪>
スポーツ部門:午前9時30分〜午後8時(平日・土曜)午前9時30分〜午後4時(日曜・祝日)
月曜休、堺市南区城山台5丁1番2号、℡(072)-296-6311
泉北高速鉄道光明池駅より送迎バスで約5分。
トレーニング室ではストレッチやエアロビクス、プールでは四泳法の基本から水中ウォーキングなどたくさんの教室や講習会が行われていますが、特に注目したのは、参加した人に向上心をもたらし、みんなが笑顔になれる水泳指導です。
この水泳指導は一つのプログラムだけで行われているのではありません。障害がある人もない人も“泳ぐことが上手になることはもとより、心身ともに元気になり、仲間と切磋琢磨できればいいね”という理念で、水に浮くのもままならない重度の障がい者から、高齢者、パラリンピアン級のスイマーまであらゆる人のやる気を引き出しているのです。
ファインプラザ大阪でこの笑顔の絶えない水泳指導を行っているのはスポーツ指導員の冨築一行先生です。
大阪府立障がい者交流促進センター ファインプラザ大阪
スポーツ事業課 総括主任 冨築一行(とみちくかずゆき)先生
1986年、大阪体育大学体育学部卒業。卒業と同時に障がい者スポーツの指導者として歩み始める。1988年、IPC世界水泳選手権日本選手団監督。2000年、シドニーパラリンピック水泳日本選手団役員。1998〜2003年まで堺青年会議所(現:堺高石青年会議所)地域のこども会や青少年指導員などボランティア活動にも積極的に参加。座右の銘:勝つことばかり知りて、負くるを知らざれば、害その身に至る。趣味:ゴルフ・サーフィン
生きづらさを抱えている人にこそ、笑顔になれる場所が必要
冨築先生曰く、障害があるために周囲に理解されないことや、年齢を重ねて閉じこもりがちになることで味わう虚無感、孤独感を運動によって解決するには、1人1人の性格や障害に合わせた指導が不可欠。信頼関係を構築し、運動に対するモチベーションを維持させることが大切なのだそう。
「単純に楽しく練習できて、心も身体も元気になって“また来たい”という気持ちで帰ってもらえれば十分なんです」
冨築先生の指導では、障害がある人たちが自分に残された機能や能力を活かしつつ水泳を楽しんでいます。そして、水に慣れることから本格的な競泳の指導まで、希望に応じた指導を受けることができます。いつでも、誰でもふらりと安心して来られる、笑顔になれる場所を提供しているのです。
そのような先生のご指導により、脳梗塞で半身麻痺だった方が“四泳法すべてを泳げるようになろう”という気持ちになったり、リオデジャネイロ パラリンピック100m平泳ぎ代表に廣田真一選手を輩出したりといった成果を挙げていきました。
※写真はイメージです
2020年東京パラリンピックの開催が決まって、障がい者スポーツが注目される機会も増えました。ファインプラザ大阪での水泳指導に対しても期待が高まっているかと思います。冨築先生はどのように感じていらっしゃるのか教えていただきました。
「個人的にはパラリンピックや世界大会は選手としての通過点として捉えています。あくまでも大会出場やタイムは短期目標であって、最終目標はスポーツを通しての人間形成・人間育成です。特に子どもたちは、社会に出て大きな壁が立ちはだかった時に乗り越える力をスポーツを通してつけていってほしい。それは障がい者も健常者も同じだと思います。競技とは関係なく、日々利用されている高齢の障がい者の方々には生きがいとして、1日でも長く健康で泳ぎ続けてほしいですね」
すべては「できた!」の笑顔で始まった「Win-Winな関係」づくり
ご自身も競泳選手だった冨築先生。指導者として「ファインプラザ大阪」を選んだ理由はなんと31年前の開館と就職の時期が重なったというタイミングだけだったそう。
“障がい者を指導する”ということに特にこだわらず、右も左もわからないまま飛び込んだ障がい者スポーツの世界。そこに最初から“笑顔”はあったのでしょうか。
「今でも忘れられないのは、水の中で立てない、歩けない人に泳ぐということをどこから指導すればよいのかまったくわからなかったこと。すっかり自信を失って毎日、いつ仕事辞めようかと思っていたくらいです」
水泳の指導には多少の自負があったものの、生徒にはまったく理解されず。最後には「だって〇〇だからできへん」と、障害を言い訳にされてしまう始末。「それを言われたら白旗を上げるしかなかった」と当時を振り返ります。しかし、それでも諦めなかった理由をうかがいました。
「反骨精神みたいなものもありました。中学時代とか大学の教育実習で障がい者の方と接する機会があったので、障がい者に対する心理的な壁はなかったんですけど、周囲からは“障がい者にスポーツなんて・・・”という棘のある声も聞こえました。当時はまだ偏見もあったから。だから逆に障がい者にスポーツを教えてどこが悪いねん!と(笑)」
選手コースのみなさんと先生方。 プールから上がれば和気あいあいです。
打ちのめされ、悩みながら試行錯誤すること数年。リハビリのために介助者と水の中で歩くのがやっとだった人が、1人で練習に来られるようになり、泳げるようになって・・・少しずつ回復していく姿を目にした時に初めて仕事への手応えを感じたという冨築先生。
「やっぱり頑張っている人には、全力でサポートしたい!と思うじゃないですか」
そこには先生自身が生徒の「できた!」の声と笑顔に背中を押されて、挫折を乗り越えたという成功体験がありました。
“自分が得意なことを教えて、誰かを笑顔にできる”そして“自分が教えているつもりが、逆にいろいろなことを教えられ、勇気付けられている”ことが多かったと語る冨築先生。そのように障がい者も健常者も関係なく、お互いを高め合えるという経験を重ねてたどり着いた答えが生徒たちとの“Win-Winな関係づくり”です。“誰にとっても有益な”という意味で使われる言葉ですが、それは先生にとってどのような関係なのでしょう。
重度身体障がい者個別水泳指導 指導者とマンツーマンで30分間のレッスンです。リラクゼーションから水泳指導まで運動継続のサポートを行います。
「みんな個性が豊かですから、一般的に思い描く選手とコーチみたいな上下の関係、一方通行の指導ではうまくいきません。だからといって、練習が甘いというわけではなく1人1人、段階に応じて厳しく指導するところはします。でも基本的には仲間と一緒にワイワイ楽しんで練習できたらいいと思うんです。それは大人のクラスでも同じです。みんなが楽しいと、私も楽しいでしょ」
また、子どもたちにとっては、単に居心地がいい場所というだけではなく、広く社会に出ていくための足掛かり、失敗した時に再び立ち上がるための踏み台になることもファインプラザ大阪の重要な役割だと先生は続けます。
「ここは社会に出て傷ついたり悩んだりしたときに、ふらっと帰って来れる心のプラットホームのような施設でありたいんです。嫌なことを一瞬でも忘れたり、仲間と愚痴を言い合ったりして、ちょっとでも元気や笑顔を取り戻して“明日もう一回頑張ってみよう”と思える糧になれれば。私たちはOKなんです」
「どうせ・・・」を「きっと・・・」に変える場所
“自分が得意なことを惜しみなく差し出す”、“受け取る相手の個性を尊重する”そうすることで、“その人の笑顔を自分の力に変えていける!”冨築先生の笑顔が絶えない水泳指導から学んだことです。
“どうせ私なんか・・・できない”という考えを、あの人も頑張っている“きっと私も・・・できるかも”と影響しあえる。そんな仲間同士でも“Win-Winな関係”を築ける場所は誰しもの心のプラットホームになり得るのではないでしょうか。
“障がい者のための施設でしょ?”と思っている方もぜひ足を運んでみてください。きっとあなたを元気にする素敵な笑顔に出逢えるはずです。
※写真はイメージです
お知らせ
障がい者と健常者の方が交流できるイベントも多数開催しています。フィットネス・アスリートプログラムは誰でも参加可能です。(障害のない方のプールプログラム・フロアプログラム参加は施設使用料のみ必要)
※現在プールは保守点検につき、一時利用を停止しています。ご利用に際してはホームページ(http://www.fineplaza.jp)や当館に直接お問い合わせください。
◎取材後記
「ここがあるからさびしくない」気を許しあえるみんなの居場所
終始「格好ええように書かんといて」とおっしゃっていた冨築先生。しかし、お話が盛り上がれば、盛り上がるほど、生徒たちへのほとばしる情熱を感じざるを得ませんでした。毎日来館しているという方々にお話を伺うと「ここがなかったら行くとこないわ」「ここに来たら誰かおるやろ」という答えが返ってきます。障がい者にとっては、先生方も含めお互いに気を許しあえるかけがえのない施設です。
◎市民ライター・プロフィール
下村信子
堺市南区在住。30歳を過ぎ、神経難病により車椅子生活に。失意のどん底でファインプラザ大阪に出会い競泳に目覚める。「泣きたいときにはいつでも来たらええねん。」長期入院後の心身ともにボロボロだった私に投げかけてくださった冨築先生のさりげなく温かい一言に支えられて今があります。